三日月町邪馬台国 ─若者に説く魏志倭人伝酒話─ 眞木林太郎 ![]() 【3】 なかでも、 親魏倭王という金印は 普通はとにかく、面と向かって その人に対して、与えるというのが 筋なんですよね これは、間違って別な所に行って その人が勝手に判子を使ったりなんかすると えらいことになるんです そこで、魏のほうは、朝鮮半島の 今のソウルに在ったって言われているんだけど 帯方郡に、卑弥呼の所にそれを持って行けと 命令したわけです そこで、その帯方郡のトップは 弓遵というんですけど、 それが、部下の梯儁を呼び出して お前行って来いと、海外出張ですよね で、卑弥呼に会って 間違いなく渡して来い、と、 帯方郡を送り出したのが 240年の事なんですね。 そこで、梯儁は、せっせっせっせと 倭人の邪馬台国まで、やって来て 卑弥呼に、その金印を授けて それで、多分次の年だろうと思うんですけど 帰って行った訳です その帰った時に、報告を出さないといけませんわね それで、その報告書に 帯方郡から邪馬台国までの 旅程ですね、それとか、或いは 邪馬台国の見聞を書き込んで で、まー、弓遵大守に報告して、 弓遵は洛陽の天子のもとにそれを送って それで、お終い、と言う事になった訳です その、報告書を元に この、魏志倭人伝は間違いなく書かれていると、 思われる訳です ですから、倭人伝のこの旅程に従って いま、精密な地図が出来ていますからね、 その地図の上で、えっちら、おっちらと 行けば、邪馬台国には必ず着くはずなんですね ところが、今、邪馬台国というのは、 100か所以上の説があって 何処になるのか全く決まらない状態なのです どうしてなのかと言うと 倭人伝を解釈していって 色んな疑問が出て来てその都度 皆んなが、一人一説で、仮説を立てるもんだから、 あっちいったり、こっちいったりなんで ちっとも纏まらない訳ですよね で、私もその中で(ゲップ)首をひねっていた 【4へ続く】 |