ラット遺伝子連鎖地図の進歩とラットにおける ポジショナルクローニングのためのゲノムシフトアプローチ


芹川忠夫(京都大学医学部附属動物実験施設)


1. ラット遺伝子連鎖地図の進歩 1980年代末期のラット遺伝子連鎖地図は、突然変異形質、毛色遺伝子、免疫学的遺伝 子、及び生化学遺伝子による遺伝的多型をもとにしたもので、ほとんどが染色体番号 が知られておらず、単に連鎖群として報告されていた。我々の研究グループは、1991 年に脳卒中易発症ラット (SHRSP) における複数の高血圧発症原因遺伝子のマッピン グ成績を発表し、1992年に染色体番号を示した世界で最初の遺伝子連鎖地図を公表し た。これらを契機にして、ラットにおける遺伝解析研究が大きく展開することになっ た。これらの研究成果は、ラット染色体を同定するためのラットxマウス体細胞交雑 クローンパネルの開発、複数の近交系ラット間の交配セットの準備をもとに、初めて マイクロサテライトマーカーを系統的に開発することにより達成し得た。その後、ラ ット遺伝多型マーカーの絶対数を増やすことを目的に、主にAC モチーフのマイクロ サテライトマーカーの開発がなされてきた。 次いで、我々はラット染色体上に FISH マッピングしたコスミドラットゲノムクローンからマイクロサテライトマーカーを開 発して、それらを連鎖地図上にマッピングする方法によって遺伝子連鎖地図の方向性 や遺伝子連鎖地図が染色体のどの領域を占めているかを明らかにした。 2. ラットにおけるポジショナルクローニングのためのゲノムシフトアプローチ ラットは、行動観察が容易なこと、学習能力が高いこと、病態の変化が急激でないこ となどの特性が挙げられ、高血圧、糖尿病、発癌、神経疾患、老化といった多因子疾 患の病態発生における遺伝的要因および環境要因を明らかにするには大変に有利であ り、マウスでは困難な研究が行える素地がある。最近、分子遺伝学的手法の進歩によ り、いくつかのミュータントマウスの原因遺伝子がポジショナルクローニングによっ て明らかにされ、ミュータントの価値が再評価されるようになった。興味のあるミュ ータント遺伝子をこの方法でクローニングするためには、そのミュータント遺伝子を 遺伝子連鎖地図上に高い精度でマッピングできること、大きなゲノム断片を含む YAC ライブラリーや BAC ライブラリー等が容易に利用できることなどの研究基盤の整備 が必須である。 ヒトやマウスに比較して、その環境が整っていないラットにおいてポジショナルクロ ーニングを成功させるためには、ラット・マウス・ヒト間の高密度比較遺伝子地図を 利用することが賢明である。そこで、我々はラットの興味のあるゲノム領域からマウ スあるいはヒトの相同ゲノム領域にシフトする「ポジショナルクローニングのための ゲノムシフトアプローチ」を提案している。そうすれば、マウスやヒトで集積されて いる多量の情報をラットでの研究に取り込み、さらにこれを進展させることができる。 最近、ヒトにおいて、急速に ESTs (Expressed Sequence Tags) マッピングが進ん でいることから、ヒトの相同ゲノム領域が特定されれば、その領域にマッピングされ ている ESTクローンを用いて候補遺伝子にせまることができよう。また、上に述べた 過程の純然たるポジショナルクローニングに達する前に、ポジショナル候補遺伝子ア プローチの段階で求める遺伝子が見いだされる場合もある。従って、ポジショナルク ローニングのいずれの段階においても、そのマッピング領域に既に報告されている候 補遺伝子が存在しないかどうかを注視することが重要である。それがラットにおいて 見いだされていない場合には、ヒトやマウスの相同ゲノム領域に候補遺伝子あるいは 遺伝子不特定のcDNA クローンが報告されていないかどうかを調べることが必要で ある。 以上に述べたように、ラットの遺伝子連鎖地図とラット・マウス・ヒト間の比較遺伝 子地図は、疾患モデルラットから新たな知見をもたらすために必須の基盤であること が理解されよう。また、この遺伝子連鎖地図と比較遺伝子地図は、遺伝要因と環境要 因を統御した実験医学研究を実施できる貴重な実験動物の一つであるラットのポテン シャルを大いに高めるものと評価できよう。 具体的なステップを述べると以下のようになる。 第1段階において、数 cM〜10 cMの距離に興味のある表現型を規定している遺伝子を マッピングする。これは、通常、既存の遺伝多型マーカーで可能であろう。第2段階 において、解析する交雑仔とマーカーを増加させて1cM未満のマッピングをする。こ の段階では、興味あるゲノム領域において独自に遺伝多型マーカーを開発する必要が ある。第3段階において、未知の遺伝子を探ることになれば、ラットからマウスにゲ ノムレベルでシフトする。まず相同ゲノム領域について、マウスのYAC や BACでコン テイグを作ることにより詳細な物理地図を作成する。続いて、特定されたマウスゲノ ム領域に存在する転写領域を cDNA スクリーニング、エクソントラップ法、ゲノムシ ークエンス法を用いて決定する。以上の過程からマウスにおいて候補遺伝子が単離さ れれば、再びラットを対象とした解析に戻り、この候補遺伝子が真の原因遺伝子であ るかどうかを、ラットにおいて解析する。