秋の日本実験動物医学会教育セミナー講演要旨 1. 教育講演 死亡率50%のハンタウイルス肺症候群(HPS)が人から人に伝播する? 有川 二郎 (北海道大学医学部附属動物実験施設) ハンタウイルス肺症候群(hantavirus pulmonary syndrome:HPS)はブニヤウイル ス科のハンタウイルスに分類されるシンノンブレウイルス(Sin Nombre,名無しの意 )を原因とし、げっ歯類によって媒介される人獣共通感染症である。呼吸障害とシ ョックを伴う急性の経過を示し、高い死亡率(50%)を特徴とする。本症は1993年 に米国南西部の諸州で発生が確認され、その後1996年12月までに患者総数155例が米 国26州から報告されている。1996年1年間だけでも患者20例、死亡率は依然として 50%の高い値を保っている。1995年以降には、南米のボリビアとアルゼンチンで HPSの発生や感染動物の存在が報告され、シンノンブレウイルスが広く新世界ネズミ を病原巣動物としてアメリカ大陸全域に存在していると思われる。 本症は病原巣動物が糞尿中に排泄するウイルスの飛沫を介して呼吸器感染すると考 えられている。患者の肺組織中には肺ウイルス抗原が認められるもののこれまで二 次感染は全く報告されず、人から人への感染は起こらないものと考えられてきた。 しかし、1996年9月から12月にかけてアルゼンチンで報告されたHPS症例20例のうち 16例が人から人への直接感染によって伝播した可能性が極めて高いことが疫学的に 明らかにされた。そしてそれら16例中のなんと9例(56%)が死亡した。現在、げっ 歯類と患者由来ウイルスの遺伝子解析をもとにした本件の詳細な解析が開始されて いる。 わが国にはシンノンブレウイルスの病原巣動物となる種類のげっ歯類は生息してい ないため、HPSは存在しないと考えてきた。しかし、本症の人から人へ感染伝播が成 立する場合には人を介したHPS侵入とその後の都市での大流行の発生が危惧されてい る。さらに、患者から野生げっ歯類へウイルス感染が拡散した場合、その後の対応 は極めて困難なものになる。 一方、これまでわが国で発生したハンタウイルスによる感染症は、実験用ラットを 感染源とする腎症候性出血熱の実験室型の流行が中心で、死亡率も1%以下であるた め実験用動物の疾患との認識が強い。しかし、感染ドブネズミは全国的に生息し、 また、北海道の一部野ネズミもやはり感染していることが明らかになっている。そ れらからの感染例は報告されていないが潜在的な感染源として注意する必要がある 。また、わが国の近隣の極東地域からヨ−ロッパまでのユ−ラシア大陸全域は腎症 候性出血熱の常在地であることから、輸入感染症としても認識すべきである。 ここでは、アルゼンチンでのHPS流行事例を中心に紹介し、人獣共通感染症( Zoonosis)対策の重要性への話題提供としたい。 2.シンポジウム「遺伝子導入動物研究における諸問題」 1)遺伝子改変マウス:技術の進歩と戦略的位置づけ 山村 研一 (北海道大学医学部附属動物実験施設) ヒトゲノムプロジェクトの進展で、遺伝子の構造解析については目処が立ったとい われている。今、遺伝子機能の解析の時代に移りつつあるといわれるが、遺伝子導 入マウスや遺伝子破壊マウスを用いての研究が必須となりつつある。 遺伝子導入マウスにより特定の遺伝子の過剰発現や異所的発現が可能になり、いわ ゆるgain of functionやdominant negativeタイプの変異を導入することができる ようになった。また、人工酵母染色体(YAC)や人工細菌染色体を利用することによ り、最大数百キロベースから1メガペース近いDNA断片をマウスに導入できるように なった。この方法の特徴は、遺伝子発現が極めて正常に近い形で行われることであ り、この性質を利用して、病気の原因遺伝子の単離へとできるようになった。 一方、多分化能を持つ胚幹細胞(ES細胞)を利用することにより特定の遺伝子座で の組換え、すなわち相同遺伝子組換えが可能になり、遺伝子破壊マウスや遺伝子置 換マウスの作製が可能となった。現在では、単なる遺伝子破壊だけではなく、バク テリオファージP1由来の組換え系であるCre-loxPシステムを利用することにより、 ある特定の組織においてのみ遺伝子破壊ができる系、すなわち条件的遺伝子破壊が 可能となった。さらに、現在誘導的遺伝子発現の系の開発が精力的に進められつつ ある。 上記の技術を用いて、これまでにターゲッティングマウスが約1,000種類、 トランスジェニックマウスについてはその10倍程度が産生されている。しかし、1系 統のターゲッティングマウス作製に約200万円かかると見積もられているように、コ ストがかかり過ぎること、また労力もかかり過ぎるとの反省がある。そこで、相同 遺伝子組換えによらない方法を用いて、大規模突然変異体作製のプロジェクトが欧 米では始まった。 欧米においては、遺伝子改変マウスの作製が一部ルーチン化しテクニシャンが代行 しており、その保存、供給、データベース作製は、一致協力のもとに行われつつあ る。この点、わが国ではいまだに個々の研究者がこつこつと作製を行っているのが 現状であり、保存、供給体制とデータベース作製は行われていないに等しい。 本講演では、上記の技術を我々の研究室の知見も含めて報告するとともに、生命科 学研究における戦略的位置づけとその施策について話したい。 2)わが国における遺伝子操作動物実験・飼育管理の実態 笠井 憲雪 (東北大学医学部附属動物実験施設) 近年、遺伝子操作動物(トランスジェニック,Tg動物と略称)を用いた実験の広が りは目を見張るものがある。つまり、今では分子生物学者のみならず、あらゆる生 物系分野の研究はその遺伝子の研究を行い、それに伴い明らかにされた遺伝子の生 体での機能を明らかにする目的でTg動物を使用している。しかし一方で、それらの Tg動物の開発過程で、さらにそれらの動物を用いた研究の過程で、大量の動物の繁 殖・飼育が行われ、動物実験全般を管理する大学の動物実験施設は、この急激な変 化に早急な対応が迫られている。 この度、国立大学動物実験施設協議会では、加盟全53施設を対象としてアンケート 調査を行い、その実態が明らかになった。それによると、Tg動物実験はその作出実 験をも含め、ほとんどの施設(90%)で行われており、また、遺伝子治療実験も 34%と予想以上に高率に行われている。また、そのTg動物実験は施設内にとどまら ず、施設外でも行われている。さらに国内(85%)や国外(62%)からの導入も多 く、頻繁に授受が行われており、その結果、施設で飼育されているTg動物の増加は すさまじく、1991年から1996年までの最近5年間の変化をみると、49施設合計で 6,800匹余から77,000匹余と11倍以上増加している。 これらに対応するために、各動物実験施設はさまざまな方策をとっている。施設内 でのSPF域はもちろん、コンベンショナル(CV)域にもSPF域に匹敵するTg室を作っ ており、全体としてTg動物室は5年間で面積で6.8倍へと増加した。これらの努力に もかかわらず、約60%の施設でTg動物飼育スペースが不足していると回答している 。さらには、国内外からの動物授受にあたっては、70%以上の施設で何らかの問題 が起こっている。組換えDNA指針に関する問題、輸送搬入時の問題、衛生管理の問題 、ベクターの安全性の問題など、全般にわたっている。 本シンポジウムでは、今後さらに増加が予想されるTg動物実験に対して、動物実験 施設としての対応策を考えてみたい。 3)遺伝子組換え動物の作成、飼育、及びそれを用いた実験に関する諸問題 −組換えDNA実験指針の解釈とその問題点− 安居院 高志 (名古屋市立大学医学部実験動物研究教育センタ−) 一般に実験動物に対し遺伝子組換え操作を行う場合、次の3つが主なものとして考え られる。 1.トランスジェニック動物 2.ノックアウト動物 3.ウイルスベクタ−もしくはリポソ−ム等を用いた動物体細胞への遺伝子導入 これらの動物の作成、飼育、もしくはこれらの動物を用いて実験を行う場合、各所 属機関の組換えDNA実験安全委員会による自主規制の対象となる。各機関の安全委員 会の審査がスム−ズに進められるように、文部省によって組換えDNA実験指針が定め られている。この指針は平成3年度に大幅な改訂が行われ、さらに平成6年度にも一 部改訂が行われた。平成3年度の大幅改訂において、実験動物を用いた組換えDNA実 験は大腸菌等を用いた組換えDNA実験から切り離され「組換えDNA実験に準ずる実験 」となり、実験における封じ込めの仕方が大幅に変更された。しかし封じ込めのレ ベルの具体性に欠けるため、各研究機関において、実験施設の認定、実験の審査・ 認定の仕方に混乱が見られるようである。また、実際に実験を行う研究者、実験が 行われる施設の管理者の間にもかなりの混乱が見られるようである。 本講演においては、現在の指針の解釈、問題点、また、指針に沿った形で遺伝子組 換え動物の作成、飼育、実験を行うにはどのようにしたらよいのかということを、 具体的に提案したい。
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