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山内貴範氏インタビュー(全5回)

なぜ、羽後町で美少女イラストなのか?


―このたび、山内さんの初の著作となる「町おこしin羽後町〜美少女イラストを使ってやってみた〜」が発売されることになりました。全国各地で美少女イラストを使った町おこしが見られるようになりましたが、埼玉県鷲宮町の「らき☆すた」の事例とならんで、山内さんの企画の影響を受けているものは多いと思います。そんななかで、山内さんが本を出すのはどういった理由からなんでしょうか。

山内:僕がどうして美少女イラストを使った企画を作ったのかという理由を、多くの人に伝えたかったという思いがあります。羽後町で起こっていることって、もともとは僕個人の趣味なんですね。それが1つのムーブメントになってしまいました。僕が好きな美少女イラストを、僕が好きな作家さんに頼んで、羽後町をテーマに描いてもらっているというわけなんです。あと、地方でイラストを使った町おこしを「萌えおこし」という言葉で説明するようになって、その1つとして取り上げられるのですが、もともとは「萌え」という言葉に対する反発から生まれた企画なんですよ。

―といいますと?

山内:僕は地元で中学時代からイラストの仕事をしてきたんですが、大学生のころに「電車男」がブームになりました。その影響を受けて、テレビ番組では美少女イラストを好きだという人は変態だとか、モテナイだとか、キモイだとか、そういうふうに取り上げられていました。よく、レポーターが秋葉原に行って美少女イラストを見て、気味悪がるような番組があったじゃない、「萌え〜」とか言って(笑)

―そういえば、当時は結構ありましたね。

山内:でも、僕は美少女イラストを描けることによって、友人をつくってきたし、誰にもひどいことを言われたことはなかったんです。そもそも、僕にイラストを教えてくれたのは小学時代の友達だった女の子です。ものすごく内気で、休み時間なんかは1人で教室でぼーっとしているような子どもでした。それを見かねて、その女の子が「イラストを描いてみたら?」と言ってくれたんです。その女の子は今は商業分野でイラストの仕事をしているんですが、当時から目を見張るほど上手かった。今の僕があるのは彼女のおかげです。中学や高校のころは、イラストのおかげで学校で友達ができたんですよ。企画でお世話になっている、こげどんぼ*さんや江草天仁さんの作品もこのころに、友達に薦められて読みましたね。

―山内さんがイラスト好きになったのは、友達の影響が大きいですね。

山内:そうです。ところが、大学生のころに、テレビで「フィギュア萌え族」みたいな言葉を使う人なんかが出てきて、あたかも「性犯罪者」のように取り上げる番組がありました。すごくショックを受けまして、自分が好きなものを否定されたように思えて、何か悪いことをやってきたんだろうかと落ち込んだんです。

―「フィギュア萌え族」なんかは確かにひどいですよね。

山内:そのときに思ったのは、一般の人ははたして、美少女イラストと少女マンガのイラストを区別できるんだろうかということです。僕は、それができる人こそ「オタク」で、普通の人は、「萌え」とか「秋葉原」みたいな枕詞で判断しているんだと思いました。法隆寺と東寺の五重塔はまるっきり別モノだけど、建築に詳しくないとそんな違いなんてわかんないでしょ。同じことがイラストにも言えると思った。絶対に区別なんかできねえぜ、と。美少女イラストは、むしろ昔の少女マンガの絵に近い印象で、大きな目とか服装なんかもとてもかわいらしく、これのどこが問題なんだと思ったんですが、さきに言ったように、枕詞によって避けられている部分が大きいんじゃないかと考えたのです。

「萌え」という言葉を使わない!

―その考えを実践したのが、羽後町の「学習塾ガロア」のチラシですね。これは今見ても、ものすごくインパクトが大きいと思います。

山内:これは僕が大学2年のころに企画したものですね。友人だった大笆知子さんに依頼して描いてもらいました。メイドとゴスロリの女の子がドーンと載っている、かなり露骨なデザインです(笑)。マスコミで「オタク向け」と言われていたイメージを徹底的に盛り込んでいるわけですが、なんでそんなことをやったのかと言うと、ここまで大胆なチラシを作って、どういう評価が出るのか試してみたかったんです。すると、これが信じられないくらい評判が良かった(笑) この反応を見て、「萌え」という言葉を使わなければ、美少女イラストは多くの人に支持されると確信したんですよ。

―そういう取り組みをした人ってほとんどいないですよね。「電波男」という本を出した本田透さんという人がいますが、彼は自分の趣味が受け入れられないと言って、一般の人たちから距離を置く方向に向かったのに対し、山内さんは一般の人たちに接近していったといえます。ガロアのチラシが山内さんの自信につながったわけですよね。

山内:一般の人たちに接近していった、というよりは、僕はもともと美少女ってオタク向けのものだという意識がなかったから、別に特別なことはやっているつもりはなかったし、今でもないんですよ。今までの延長線なんです。チラシを見た子どもたちや親御さんから、「このチラシはかわいくて良いですね」と言われるのが励みになりましたし、人気に応えるかたちでプロのイラストレーターによるシリーズが続いて、「かがり美少女イラストコンテスト」につながっていくんです。真木ちとせさんのチラシは集大成的な作品として、フルカラーで制作しました。

―大笆さんのチラシを出したのが2005年、真木さんのチラシを出したのが2006年ですか。歴史がありますね。ところで、先ほどの話にもありましたが、山内さんは一貫して「萌え」という言葉を使わないということをコンセプトにしているんですよね。そのへんを詳しく聞きたいのですが。

山内:「萌え」「秋葉原」「オタク」を3大NGワードと呼んでいるんですよ。これらが使われると、イラストが正しく評価されない、一部のマニアのものだけ、みたいなイメージが付きまとってしまうのです。でも、マスコミの記事では思いっきり使われてしまって、コンセプトが180度変わったかたちで報じられてしまっています。これはたまったもんじゃないですよ。大嫌いな「萌え」というイメージをつけられまくっているんだから。本を出したのも、せめて自分の気持ちを本に書いておきたかった、という思いがありました。

埋もれている資源を発掘せよ!

―そういう意味では、山内さんの美少女イラストや町おこしへの考え方は、他の「萌えおこし」の例とは大きく異なりますね。

山内:自分がやりたいことをやっただけなんです。外から人を呼ぼうとか、もともとそういうことは考えてないんですよ。ただ、最初から町おこしを意図してやった企画って、そんなうまく行っている話を聞かないですよね。むしろ、長く続いているイベントって、個人が始めたことがいつの間にか影響力を持って広まったという例が結構あります。24回を数える、羽後町の「ゆきとぴあ七曲花嫁道中」だって、もとは個人のアイディアですよ。好きだからこそ続けられる、そういう部分が大きいと思います。

―山内さんといえば、ガロアのチラシの前に「建築家・白井晟一の作品の保存運動」も行っています。今は「茅葺き民家」に注目されていますが、これらは文化財の保存がテーマですね。美少女イラストとはまるっきり違っていて、同じ人がやった企画とは思えないんですが(笑)

山内:僕は建築好きなので、やっぱり「好きなこと」をやろうと思って始めたというのが大きいです。それに、白井晟一の運動で考えたコンセプトは、後の企画につながっているんですよ。白井作品との出会いは静岡市にある「石水館」を見たことがきっかけですが、その後にいろいろ調べたら、羽後町や湯沢市に建築をいっぱい設計していて、多くが現存していたんです。地元の人はほとんど知らないでいるけれども、これはもしかすると1つの資源になるんじゃないかということで、「埋もれている資源を発掘」するという考えが生まれたのです。それと「好きなことをやる」ということが、僕の基本理念なんですが、この2つのコンセプトをくっつけたのが「かがり美少女イラストコンテスト」や「スティックポスターin羽後町」です。「埋もれている資源」ってものすごく地方に多くて、言いかえれば「埋もれさせたままにしている資源」だと思います。要はそれらを活かせているかどうかが、地方が活性化するかどうかの分かれ目ですね。それを僕は「好きなこと」である美少女イラストを使って宣伝したのです。

―「美少女ありき」の企画とはそこが違うんですね。

山内:東京で美少女の企画をやるなら別だと思うんですが、少なくとも地方で企画をやるからには、美少女ありきでは良くないと思いますね。「埋もれている資源」がまず先にあって、それと結びつけるような手法をとっていかないと、それこそ東京の文化の安易な輸入や、コピーになってしまう。戦後の地方がやってきたことそのものですよね。東京に憧れるがあまり、もとから地域にあった文化を否定し、リトル東京化しようとするというか。地方の風景を画一化させた一番の原因です。僕はそうじゃなくて、東京から文化を持ってくるなら、その土地固有のものと組み合わせる、つまり「新旧文化の融合」をさせることで、地域に根差した文化にしてく必要があると思っています。地方の文化って、突然入ってきたか、持ち込まれた異文化を、その土地に合うように変えていくことで発展してきたと思うんです。江戸時代は、伊勢神宮や善光寺に全国から参拝客が訪れていますが、その道中は何泊もしながら旅行するわけでしょ。旅人が旅先で出会った文化を故郷に持ち帰って広めて、長い年月をかけてアレンジされてきたものに、伝統芸能といわれて残っているものがあるのではないかと考えたのです。僕なりの仮説なんですが、ともかくその考えを、イラストを用いて実践してみたというわけです。

―伝統や地方の文化という言葉が出ましたが、それらを意識するようになったのはどうしてなのでしょうか?

山内:羽後町は「西馬音内盆踊り」という民俗芸能があって、中学のときにその歴史などの話を聞くんですが、「伝統とは、昔から伝えられてきたものをそのまま受け継いでいくことです」と教わったんです。僕はそれがずっとひっかかっていて、それでも当時は「ふーん」と聞き流していましたが、そうじゃない、伝統は「新旧文化の融合」によって継承されていくんだと考えるようになりました。ものすごくひねくれているよね(笑) 僕は高橋兼吉さんという、明治初期に山形県鶴岡市で活躍した棟梁の作品が好きです。代表作の「旧鶴岡警察署」は西洋の模倣ではなく、高橋さんがもっている技術やデザインの様式を組み合わせて自己流に咀嚼していて、「新旧文化の融合」が高度に実践されています。新しいものに敏感に反応するアンテナの高さと、アレンジしてかたちにする、この過程がすごい。「法隆寺宮大工の西岡常一さんは「飛鳥時代の伝統」をすごい主張していて、当時の姿に忠実に近い建築をつくっていますが、高橋兼吉さんは洋館を設計しつつ、伝統的な寺院建築なんかもたくさん建てているんです。つまり、高橋さんは伝統をしっかり理解したうえで、新しいことに挑もうとしたわけです。昔からのものに新しいものが加味されて、より技術も、デザインも高度なものになっていっているわけですよ。それが彼の弟子にも引き継がれていっている。だから、伝統って、新しいものを既存のものに結びつけることで生まれるんだと考えています。そんなわけで、「スティックポスターin羽後町」はじめ以後の羽後町グッズは僕の伝統への考えを実践したわけですが、作家さん方のおかげで素晴らしい作品が生まれたと思っています。

―山内さん自身の伝統論になっていますね。確かに、ガロアのチラシはメイドさんなどの、秋葉原的なモチーフが描かれていましたが、「かがり美少女イラストコンテスト」や「スティックポスターin羽後町」では伝統を題材にされています。この変化は大きいですよね。

山内:ガロアのチラシはすごく完成度が高いのですが、地域性というものはなかったですよね。それこそ、秋葉原にあってもいいようなイラストでした。「地域性」を盛り込んだ初めての事例が、「かがり美少女イラストコンテスト」でして、「スティックポスターin羽後町」になるわけです。チラシを描いていただいた真木ちとせさんにはそのあとに「かがり美少女」の見本絵を描いていただきましたが、これは地域性が濃厚に出て、かつ、真木さんのアレンジが効いた作品になっています。最近、こげどんぼ*さんに描いていただいた「うごボン」も、作家さんの個性と、地域性が組み合わさって、魅力的なキャラクターになっています。こういう事例を増やしていきたいですね。

―山内さん自身の伝統論になっていますね。確かに、ガロアのチラシはメイドさんなどの、秋葉原的なモチーフが描かれていましたが、「かがり美少女イラストコンテスト」や「スティックポスターin羽後町」では伝統を題材にされています。この変化は大きいですよね。

山内:ガロアのチラシはすごく完成度が高いのですが、地域性というものはなかったですよね。それこそ、秋葉原にあってもいいようなイラストでした。「地域性」を盛り込んだ初めての事例が、「かがり美少女イラストコンテスト」でして、「スティックポスターin羽後町」になるわけです。チラシを描いていただいた真木ちとせさんにはそのあとに「かがり美少女」の見本絵を描いていただきましたが、これは地域性が濃厚に出て、かつ、真木さんのアレンジが効いた作品になっています。最近、こげどんぼ*さんに描いていただいた「うごボン」も、作家さんの個性と、地域性が組み合わさって、魅力的なキャラクターになっています。こういう事例を増やしていきたいですね。

―それが、山内さんが目指す「新旧文化の融合」なんですね。

美少女ありきではなく、資源ありきで考える

―本のなかで詳しく書かれていることですが、山内さんは美少女イラストを使うこと以上に、「埋もれている資源の発掘」の方が重要だと言っています。「埋もれている資源」と結びつけることによって、美少女が活きるということですよね。このことについて詳しくお聞きしたいのですが。

山内:僕は大学時代に全国を放浪して、日本中の街を見てきました。交通の便がめちゃくちゃ良く、立派な施設があるのに寂れている街や、はたまた交通の便がめちゃくちゃ悪く、老朽化した施設しかないのに活気がある街とか、とにかくいろんなところがあったのです。この差は何だろうと思ったとき、「埋もれている資源を発掘」できているかどうかによって、街の表情が大きく変わっているんだと思いました。町の観光案内所に行ったとき、職員にこっちがいろいろ行きたい施設のリストを見せると「そんなところに行ってどうするんですか?」と言われることがたびたびありました。いわゆる観光地化されていない町って、ほとんどがそんなもんなんですよ。 「何もないですよ」というのがお決まり文句になってしまっています。

―観光案内の人が「そんなところ」とか「何もない」とか言っちゃダメですよねえ(笑) でも、私も自分の故郷を、普段は人前でそんな感じに言っていますね・・・

山内:合コンや飲み会でも、故郷の話になると自虐的になる人は多いよね。でも、地方を見渡すと、東京にはない素晴らしいものがたくさんあります。しかし、その魅力を、地方の人たちは気づいていないんです。「何にもないですよ」というのは秋田県人がよく言う言葉の1つで、「おしとやか」「控えめ」と肯定的にとらえる人がいるんですが、「何もない」と言われるような場所に行く人なんかいないでしょう。少なくとも、観光などの産業に関わる人なら禁句だと思うんです。「何もない」と思ってしまうのは、その人が町のことを調べる努力をしていないからであって、どんな町にも資源はあるんです。ということは、資源を発掘すればいいだけなんだから、どんな町だって浮上できる可能性があるわけなんだよね。それをやったごく一部の町なり企業なりが、話題になっているということなんだと思います。「埋もれている資源」とは、言い換えてしまえば「埋もれさせている資源」だと思います。地方再生の鍵は「美少女を使う」ことではなく、「埋もれている資源の発掘」と「新旧文化の融合」が大切なのです。現在も、各地で美少女を使った商品が生まれていますが、これらのコンセプトを実践している事例は極めて少ないと思います。

―そういうコンセプトなんですね。

山内:「スティックポスターin羽後町」は、町民ですら行ったことないような場所をネタにしています。僕もポスター制作のために初めて訪れたところが結構あります。町民だから全部の集落、全部の地域を見ていると思っていたけど、いざ歩いてみると行っていない場所がありすぎて、知らないことだらけでした。地元の文化財とか、職人技術とか、その道の大家とか、知らなかったことがどんどんわかって発見の連続でしたね。スティックポスターはロゴのデザインや解説を地元のプロが手がけていることに特徴がありますが、こういう素晴らしい人がたくさんいるんです。例えば、増澤廣さんは個人的にもずっとお世話になっていた人なのに、とんでもなく失礼なことなんですが、篆刻の大家であることを存じ上げていなかった(汗) 制作の過程は、自分にとっても地域再発見の旅でしたね。

―埋もれている資源を最大限に活かす方法を、山内さんは本当に良く考えておられますね。

山内:美少女がもはや当たり前のようになった今だからこそ、企画者が何をやりたいのかという、コンセプトの重要性がますます高まってくるんじゃないかと思います。そして、どんな作家さんに、何を描いていただくか。当たり前のことですが、魅力的なキャラクターをつくって地域に根付かせるには、1つ1つの基本が大事なんじゃないかと思います。僕は美少女以外の企画もやっていきたいと考えていますが、「埋もれている資源の発掘」や「新旧文化の融合」という基本コンセプトは変えずに取り組んでいきたいですね。

―美少女以外の企画、楽しみですね。どんなことを考えているんですか?

山内:まあ、見ていてください(笑) 準備期間がだいぶかかると思いますが、やがては発表できると思います。美少女とは180度違う内容になっていると思います。


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