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邪馬台国とは何だろうか / 眞木林太郎 Web版 はじめに画期的な、邪馬台国の所在 ! まだまだある「倭人伝」解釈の可能性 !! 閉塞感を打ち破り、新説が登場 !!! 文献による邪馬台国の比定が避けられ、考古学による方法が主になりつつあるという。びっくりした。 私が考古学的方法をとらず、文献に突破口を求めることにしたのは、まず、とにかく「倭人伝」の中に、帯方郡を出発して邪馬台国までの行程が、不完全であったとしても、方向・道里つきで明記されていることによる。 一方、考古学において提示されている資料にはこうした明確さはない。いいかえれば、ある物によって、具体的に単一の地点を示す物に欠けている。そこで、いろいろな要素を重ねて濃密な可能性をさぐるという方法がとられるが、考古学の本来でいえば、それそのもの、単一でテーマを指し示すものを求めるということである。 たとえば、そのものによって、邪馬台国を比定しうる対象を探していく。 シュリーマンは、ホーマーの詩を案内書としてトロイアの遺跡に辿り着いた。これに従えば、邪馬台国そのものを示す対象として卑禰呼の宮を探し出すことになる。それを探し求めた方法として、よりどころとなったホーマーの伝説とは「倭人伝」でしかない。考古学はそれによって邪馬台国に着く。それが成功すれば、この問題に関してはすべてが終わる。 文献を云々するのは、考古学の手を借りて、実際にその場所を確定する手段なのである。 さて、卑弥呼の宮に近いものとして、卑弥呼の墓がある。さらに、卑弥呼に与えられた「親魏倭王」の金印紫綬がある。複数のものではあるが、卒善中郎将の銀印青綬、卒善校尉の銀印青綬、百枚の銅鏡、五尺力2口がある。 しかし、これらは一つとして出土していない。 もっとも、それが出てきたら、文献は二次的な意義しか持ち得ない。いろいろ想像を楽しめるのも今のうちである。 ということで、 ―邪馬台国は佐賀県小城市三日月町三カ島にあった― |