眞木林太郎/著 序 題名は、朝永振一郎さんの『物理学とは何だろうか』による。 朝永さんは同書の序文に、「物理学の説明には、必ず数式が必要である。だから、数式を使っておくが、それがわからないというのであれば飛ばして読んでもらえばいい。それでも全体がわかるように心がけた。」と書いた。 今回の本の題は、ズバリ邪馬台国(やまたいこく)のある場所を入れて「三日月(みかつき)邪馬台国(やまたいこく)」とするつもりでいた。それをホームページに載せたところ、後藤さんからe-mailをいただいた。 「実は私も邪馬台国(やまたいこく)は佐賀県小城・三日月(みかつき)町にあったと考えているものです。1999年にそれを「倭国探訪 後藤幸彦著 明窓出版刊 1300円と税」として出版いたしました。 あなたも同じく邪馬台国(やまたいこく)が佐賀県三日月(みかつき)町にあると論じているようで同志をえたような気持ちです。 HPでは4まで読みましたが、是非5以降も拝見いたしたいと思います。 お忙しい中、よろしくお願いいたします。」 私はびっくりした。その出版社に、すぐに出かけて購めた。 後藤さんと私は邪馬台国(やまたいこく)の場所は同じだが、そこに至るまでの論旨は違っていた。だから、私の論旨で上梓するが、題とするのは避けたい。そこで思いついたのが朝永さんの著書で、それをもじることであった。 引用は厳密を期したい。朝永さんの著作集が手許にある。その第7巻に目的の著作が収載されている。私はまずそれを開いた。しかし、そこには希望する文はなかった。 私は、これは再録である。だから、はずされているのだと考えた。そこで、書棚をひっくり返して岩波新書版を取り出した。案に相違してここにもない。結局、随分以前からの錯覚とわかった。 「眞木林太カ」は私のペンネームである。 “三夕の歌”の中では、寂蓮法師の「村雨の露もまだ干ぬ眞木の葉に霧立ちのぼる秋の夕ぐれ」がもっとも好きであった。 また、私の大学の「第二校歌・人生劇場」では、歌詞4・5番の間に、「わが胸の燃ゆる思いに比ぶればけぶりはうすし桜島山」という和歌を詠う。作者は、幕末の志士・眞木和泉守であると教えられた。後に、平野国臣と知ったが筆名を付け終わっていた。 「林太郎」は森鴎外さんの本名である。また、飛鳥時代の大臣家の蘇我氏に入鹿がいた。通称を林大臣、林太郎と呼ばれていた。 友人に、真木洋三さん、梓林太郎さんに因んだのかと言われた。それも素晴らしい。むかし、羽柴秀吉の姓は、丹羽長秀の「羽」、柴田勝家の「柴」を合わせて付けられた。 私はこの「論文」を「純粋に推理だけの探偵小説」とした。 探偵小説には大きく分けて、最後に犯人がわかる「本格」とあらかじめ犯人がわかっている「変格」がある。私の場合、後の方、「変格」になる。 犯人は、邪馬台国(やまたいこく)の「位置」で、「佐賀県小城市(おぎし)三日月(みかつき)町」である。興味はそこに辿りつく論理になる。この論文は私が結論に向かって実際に導き出した時日順に追う。だから、小見出しはつけない。ただ、少しの便を考えて、章立てを4つとする。Tが起、Uが承、Vが転、Wが結に、強いていえば当たる。だから、論理だけを追って、結論を早く得たいとUとVをとばしていただきたい。 ルビは私が勝手につけた。繰り返し出てくる国名、人名、その他少々である。 そして、読みは私流である。引用させていただいた部分で、もともとつけてあったルビは、はずさせていただいた。全体を統一したいがためである。お許しください。 本文は、思考の順である。したがって、細目は漢数字のみとする。体裁は森鴎外さんの『渋江抽齋』、吉川幸次郎さんの『帰林鳥語』にならった。文を分けるのに、「その一」から「その百十九」、「その一」「その二十四」とのみある。 なお、「閑話休題」として、ローマ数字の小文字で表し、漢数字の後にパーレンで囲んで付けた。私の疑問に勝手に自答したのである。なお、その八十以降は、ほとんどが空想の域で、あえてこの操作はしない。
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