『眞木林太郎全集』3
小さな、小さな、争点

 みなさまは、ご経験の中で、友人たちと論争されたことはありませんか?
 酒の肴として、わいわい、と楽しく。
 近ごろ、昔のことを妙に思い出します。そして、その相手もなく、一人で結論を出して喜んでいます。
 まあ、お聞きください。
 最初は、楓橋夜泊(ふうきょうやはく)、についてです。原詩は、一度はお聞きになった漢詩です。そして次に、江雪(こうせつ)です。

2007年初冬 眞木林太郎




その一「楓橋夜泊」

 

 
 高校3年の時、今から50年前です。
 漢文の時間、
 担当はT先生でした。
 
 授業は、全員起立、礼、で始まりました。
 I先生は教壇でくるりと背を向け、黒板に今日の最初のテーマを白文で書かれます。

月落烏啼霜満天
紅楓漁火対愁眠
胡蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船
 まず、棒読みです。

ゲツラクウテイ ソウマンテン
コウフウギョカ タイシュウミン
コソジョウガイ カンザンジ
ヤハンショウセイ トウカクセン
 I先生の後について、一句ずつ斉唱します。

 次に、I先生は読み下されます。

月落(つきお)(からす)()いて 霜天(しもてん)()
(こう)(ふう)漁火(ぎょか) 愁眠(しゅうみん)(たい)
胡蘇(こそ)城外(じょうがい) (かん)山寺(ざんじ)
夜半(やはん)鐘声(しょうせい) (かく)(せん)(いた)
 I先生に従って三唱。
 続いてI先生の解説。
 覚えていたかぎりと知ったかぶりを書きます。
 盛唐の張継の作。題は「楓橋夜泊」。
 楓橋は地名。現在の、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮です。
 霜が降りるのは、晴れた夜で、昼との寒暖の差がきわだったとき。空気中の水蒸気がその冷気で氷結します。私は六歳まで、中国の天津にいました。うろおぼえですが、満天の星明かりに薄い膜が張り、やがてピシピシと音がするように思えます。
 紅楓は地名です。蘇州郊外にあり、港があります、と思っていましたが、私の地図で見るかぎり、ありません。
 対す、とは眠りをさまたげられ、目が冴えている状態です。
 蘇州は塀に囲まれた街で、胡蘇城といいました。
 その郊外に寒山寺があります。胡蘇城から4kmほど西へ行ったところです。ここも、川に面しています。
 客は旅のこと。客船は旅行く船を指します。
 
 先生は、付け加えて、質問されました。
 「第1句については、読み方が二つある。
 一つは、今の

月落ち烏啼いて 霜天に満つ
 であるが、もう一つ、

月は烏啼(うてい)に落ち 霜天に満つ
 と読む。郊外に烏啼山があり、西に霞んで見え、そこに月が落ちていったという解釈になる。
 君たちはどちらだと思う?」
 ――ザワザワ。
 声あり。
 「山があるならその方がいいんじやないですか?」
 「しかしね。この詩は非常に有名になったから、これに因んで山の名が付けられた、という反論があるが、どうだろう。たとえば、熱海には“お宮の松”というのがある。戦前、尾崎紅葉の小説『金色夜叉(こんじきやしゃ)』が有名になって、その名場面である熱海の海岸にはえている一本がそれだということになっているが、主人公のお宮も貫一も実在しない仮空の人物だったのだが。」
 「…………」
 
 結局、烏が啼く方が圧倒的でした。私は烏啼山を選びました。別に理由はありません。性癖で少数派につきたがるからです。
 その後、詩吟。I先生にならい、40名からの男女が大声でうなるのです。じつに評判は悪かったのですが、先生は平気でした。おかげで、とくに詩は今でもよく覚えています。
 
 その後、ずっと気になっていました。私の主張を説明できるような理屈はないものか、
 結論らしいものに辿りついたのは、四十年後、くま膜下出血の手術を終えたベッドの中でした。
 
 


 この詩には、詠み込まれた事象が、時系列に従って、並ベられているのではないか、とふっと思いました。
 事象は、「月落」、「霜満天」、「紅楓」をタ焼けに見立て、「漁火」、そして「夜半」です。並べると、紅楓、漁火、月落、霜満天、夜半となるでしょう。こうしてみると、タ方から夜半まで、順序よく並んでいます。
 
 そこで、烏です。この鳴き声を入れなければなりません。
 烏がなくのは、ふつう一日に二回が知られています。
 まず、明烏です。
 明治維新に活躍した長州の高杉晋作さんが度々逸(どどいつ)にのこしています。

三千世界の烏を殺し
主と朝寝がしてみたい
 私は大学一年のとき、東京郊外の吉祥寺に下宿しました。屋根裏を改造した部屋で、畳の少し上のところ、両側に低く窓が切ってあり、中央は屋根の背で、もっとも高くなっていました。歩けるのはその下だけでした。寝ると、見えるのはすべて屋根裏です。
 近くに、石神井公園があり、わりに木の多いところで、当時は繁華街を歩いて出ると、畑とたんぼでした。烏がけっこういました。
 彼らは夜明けに活動を開始します。屋根の上を歩き回り、ときには複数で走り回る、もちろん、鳴く。添い寝してくれる人はいなかったから、殺すほどではありませんでしたが、なるほど、やかましいものでした。
 もう一つは、夕烏です。これは、明烏と異なり、詩情があります。

カラスが鳴くから帰ろ
 有名な童謡です。
 ついでにもう一つ、

カラス、なぜなくの
カラスは山に
かわいい七つの 子があるからよ
 さてこれを、詩の時系列にはめ込みたいのです。
 一見して、明烏ではありません。夜半で事象の並びは終わっているからです。
 では夕烏か。これは夕方の烏の状態ですから、あの時系列の中では夕焼け時か、夕焼けから漁火のときまででしょう。
 詩中にはめてみます。

紅楓 烏啼 漁火
 か

烏啼 紅楓 漁火
 ということになります。
 しかし、詩の並びでは、月落と霜満天の間です。場所が合いません。どうしても、ここで烏に鳴いてもらうとすれば、寒さの余りの悲鳴か、寝ぼけたあげくの鳴き声になります。



 私の妹は悪筆でした。それを気にして、あるとき書道を始めました。その成果が、額になって部屋を飾りました。その四字熟語の中に春秋を対にした

春愁秋思
 というのがありました。
 私の記憶にまちがいがなければ、春愁は「女の春の愁」、「男の秋の思」で、いずれも風情のある姿をいいます。
 著者の張継は男です。それなのに、「愁眠」といいます。女のよくするような、ぐずぐずとした終わりのない心情で眠れないということでしょう。
 彼がそのときいたところは紅楓の客船の中です。この船はどこかに出かけるのです。しかし、楽しい目的があって、旅に出るようではありません。うきうきとした前途への期待というより、沈んで先行きの心配をしているふうです。
 多分、転任でしょう。
 彼は役人でした。玄宗の時、科挙、官吏登用試験の進士に合格しました。周囲から大きな期待を寄せられ、首都長安の都を出発点としたのです。それが、蘇州です。
 当時、長安が第1の都市、杭州が第二です。蘇州はその杭州の近くにあります。太湖という名勝の側にあるものの、地方都市の一つです。都からは遠い。
 官吏に転任はつきものです。今回はさらに地方へ行くのでしょう。
 これから私はどうなるのか。地方、地方の転任続きで、都にはついに帰ることはできないのであろうか。
 妻子、親族、その他を率いての移動です。
 
 杜甫は晩年、各地を流浪しました。吉川幸次郎さんの『杜甫ノート』に、そのとき杜甫に従っていた人数を十人以上としています。 
 「以上、妻と二人の男の子と、二人以上の女の子、それだけでも五人以上の家族、それが杜甫の旅の伴侶であった。そのほか、」「下男下女の類も贅沢の意味でなしにつき従っていたとすれば、一行の人数は、十人を越えたかも知れぬ、これだけの大人数となれば、荷物だけでも大へんである。」
 職もなく、老齢で復職のあてもなく、縁をたどっての流浪です。それでもこれだけの人数がついています。
 張継の場合、なんといっても現役です。どれだけの規模になるのでしょうか。もしかすると、この客船は彼らのためだけに仕立てられているのかもしれません。彼らが、張継を頼みとして付いています。張継の将来は彼一人だけのものではないのです。
 自身の行く末。家族・親族の将来。従ってくれている人たち。考えてどうかなるという悩みではないが、考えざるをえないでしょう。
 明朝は、この船をたずねて知人たちが見送りにやってきます。
 どうにも、寝つかれそうにはありません。多分、このまま夜明けまで、「対愁眠」、寝つけないで、目を明けたままでしょう。
 
 この詩の字句に従っていくと、光の量が次第に少なくなっていく。空の色は多彩さを失くし、暗く、そして冷たくなる。
 夕焼けの美しさ、きらきらとした漁火、細く色あせた月の光、それも消えて星明りである。ここで烏啼という山名が出る。烏、まっくら闇である。そして寒山、さむざむとして冷たく暗い風景。次第に冷えていく心象。
 この詩の時系列の中で、烏が寝呆けて鳴く場所はないでしょう。
 やはり、烏啼山としたほうがいいと思えます。
 
 

 
 私はこれで終わったと思っていました。
 ただ、紅楓の場所を確定しておきたい、とインターネットで検索をかけてみました。ところがないのです。
 これは、楓橋の楓で秋の景色を思い、夕照の風情にかけて“真赤なかえで”の連想をイメージしたのであろうか、と思いました。
 そして、この詩についてのコメントの中に、これは張継が若いとき、科挙の試験を受けて落ちた後、旅に出た感懐を詠んだのだというのがありました。浪人時代の感傷だということです。
 浪人なら私にも経験があります。前途が決まらず、憂鬱でした。
 私の想定では、紅楓は胡蘇城に近接した出口でした。張継は官吏でしたので、当然のことに城内に住居していたでしょう。4kmも離れた郊外から出発するというのはどうだろうと疑い始めました。これは受験失敗後の旅と考えた方がいい。私の場合、郷里を出て、予備校を京都にすることによって、旅を兼ねました。
 それに、現地の周辺に烏啼山がないというのが気にはなります。


その二「江雪」



 同じ漢文の時間であった。
 作者は「柳宗元」、唐代の人である。題は「江雪」である。

千山鳥飛絶
万径人蹤滅
孤舟蓑笠翁
独釣寒江雪

せんざん ちょうひぜつ
ばんけい じんしょうめつ
こしゅう さりゅうおう
どくちん かんこうせつ

千山(せんざん) (とり)()()
万径(ばんけい) 人蹤(じんしょう)(めっ)
弧舟蓑笠の翁(こしゅうさりゅうのおう)
(ひと)寒江(かんこう)(ゆき)()

周囲は雪に蔽われて
生きとし生けるものの姿はない。
その中に、寒江だけが流れている。
その流れに、小舟の碇を落とし
一人の老人が釣り糸を垂れている。
 さて、この老人は作者自身であろうか。
 それとも、作者は岸に居て、釣りを眺めているのだろうか。

 作者は傍観者とする方が多かった。
 私は釣り人は作者自身とする方に属した。
 同じ頃、古文の時間に、川柳の例がいくつか出た。その中に、

釣れますか などと文王そばに寄り
 という一首が印象に残っている。私も当時から釣りに親しんでいたから文王の気持ちはよくわかった。
 後年、仕事で市が谷に通ったことがある。
 市が谷駅で地下鉄を降り、外に出るとそこは市ヶ谷橋のたもとである。ここから、皇居の外堀にそって飯田橋、お茶の水と堀壁が続いていく。それは、細い道でもある。両側には桜並木があり、花の盛りにははり出した枝がトンネル状になり、花に囲まれて、通って行く。花の後は葉桜である。道の側は、黄連翹の花群である。
 その頃、雀の子が生まれ、木々の間を飛び回る。その移動を木洩れ日が知らせる。道の上下に、光がきらきらと流れる。
 やがて、蝉の出番が来る。にいにい蝉がなく。油蝉が重なる。クマ蝉も来るには来る。しかし、ここはミンミン蝉の里である。やがて、ひぐらし、ツクツク法師がわずかに混じる。
 一雨がくる。ピタッと蝉の声が消える。
 次に、頭の上から虫の声がする。リ一リーと鈴虫に似ている。アオマツムシというそうだ。アメリカからやってきて、住みついてしまった。
 その声が少しずつ薄くなっていくとともに、木の葉が落ちる。見通しがよくなる。
 気がついてはいたが、対岸の堀端の細い道に、釣り人が椅子を構えて太公望を決めこんでいる。私がこの道を通うようになったのは春からだがその時にはもう目前に釣り人たちがいた。 
 三人、多い時は五人。ただ、誰かが釣ったのを見たことはない。それでもほとんど毎日、出てくる。
 漱石の『草枕』は超然とした釣り人・太公望の描写で終わっている。

 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋いで、一人の男がしきりに垂綸を見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人の間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒も宿る余地がない。一行の舟は静かに太公望の前を通り越す。
 太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸である。顧り見ると、安心して浮標を見詰めている。おおかた日露戦争が済むまで見詰める気だろう。
 太公さんの戦争は日露戦争である。世情を考えれば、相当なものだ。
 ひきかえ、私の目の前の彼らが超然としているものは何だろう。


 それにしても何が釣れるのか。
 大学時代、友人に誘われて、同じ場所に竿をおろしたことがある。えさは粉をこねた練り餌であった。水面にえさを落とす。えさが落ち切るかどうかというところから細かく当たりがくる。ぐーっと浮子が沈む。合わせる。しかし、ほとんどの場合、餌はとられていた。やっと釣り上げたのは4、5cmほどのクチボソであった。
 二人で10匹ほどで引き上げた。近くに大学がある。活かして持っていき、学部の入口にある石製の水槽の中に放した。しばらくしてその水は干上がっていた。魚の形もなかった。
 彼らは滞然と座っている。竿の上げ下げはほとんどしない。なにを釣ろうとしているのか不思議だった。
 鯉か鮒だろう。市ヶ谷橋の真下に釣り堀がある。雨が強く降ると水があふれる。魚が池からはみ出して堀に落ちる。
 東京都中央図書館は地下鉄日比谷線の広尾駅で下りる。すぐ近くの小高い山の上にあるが、ふもとは有栖川宮公園である。園内に入ると小さな池がある。池の周りにはいつも釣り人が座り込んでいる。
 餌は練り餌である。ここでもひんぱんに浮木が引き込まれる。餌が取られる。やはり、クチボソか。
 あるとき、池の中にかかっている橋の上にいた少年が大きな魚を釣り上げた。行って、かごの中をのぞかせてもらったら、20cmばかりの鮒であった。いるのである。市が谷の堀にもいるのだろう。
 正月が明け、春になり、桜が咲いた。その日は夕暮から妙な天気になった。
 雪だな。
 同僚が言った。
 私は何年か前の雪の日を想い出した。
 珍しい大雪であった。私は用を果たすため、タクシーに乗った。
 お客さん。戦前のことですが、やはり桜の花に雪が降りましてね。親父は風流にはまるで縁のない男でしたが、雪見と花見が同時に出来る。夜になれば月見もできる。こんな機会は一生の中にもう来ないだろう。
 そのお父さんはわらじをはき、早稲田の家を出て、桜の名所として有名だった飛鳥山に歩いて行ったそうだ。
 私はそれを思い出し、堀端に駆けつけて、燗のつく酒缶を自動販売機から求め、いつもの釣り人の所へ降り、つれますか、と声をかけたくなった。しかし、その日はだれも来ていなかった。
 気を付けていると、異常に寒い日、風のある日などの釣りに不向きの日にはいない。当たり前ではないか。風流は風流でも対象が違う。
 一面雪の積もっている日にわざわざ川岸に出かけて行く風流人はいるだろうか。



 
 知人たちと相模湖に釣りに出かけた。その中の一人が、車を出してくれた。
 五月の連休であった。用心して朝早く発ったのだが、どうしてどうして。一旦乗ってしまうと高速は降りるに降りられない。
 我慢して昼頃までねばってみたが、この調子では着くのが夕方になる。あきらめて八王子で降り、普通道で秋川に行くことになった。
 こちらも結構こんではいたが、それでも2時頃には川に入って竿は下ろしたものの、気分に乗りがないからか、全然釣れない。早々に竿仕舞いして、近くにある川合玉堂の記念館に行くことにした。
 一枚の色紙があった。清流の中に小舟が止まっていて、一人の老人が釣りをしている。
 南宋の馬遠の画に、舟から釣り竿を出している図がある。この竿にはリールが付いている。
 私は竿先に注目した。中国では早くから滑車をリール代わりに利用していたのである。この絵にはなかった。
 水彩画であった。明るく、のびやかである。春の景色だと思った。これなら見物もまた一つの釣りで、風流である。
 雪の釣りは風流ではない。
 
 風流でない釣りもある。

釣れますかなどと文王そばにより
 文王である。古代中国の殷の末期、黄河の上流に周という小国があった。文王はその頃、周の王であった。
 文王は渭水のほとりで、まっすぐな針を使って釣りをしている太公望に興味をもった。
 文王は太公望を尋ね、やがて参謀として周の将来をあずけた。
 太公は、文王の子、武王を補佐し、殷をたおして周の天下とした。文王に見出されたとき太公は七十歳、周の天下としたのが八十歳であった。
 太公の釣りは風流ではない。
 釣れますか、で始まる川柳の横にもう一句、うろおぼえだが

太公は魚のかわりに天下釣り

 があった。
 天下を釣る釣りがあったのである。
 余談だが、七福神の恵比寿様は釣り竿と獲物の鯛をかかえている。
 鯛の字は、魚篇、旁が周である。太公望に因んだのであろう。
 
 風流でない釣りは、文王が来るのを待っているのである。
 私はすべての用意を万全に整えています。私の経倫を活かして天下を取りませんか。
 
 舟の老翁は文王を待っている。
 江雪の作者も老翁に託して文王を待っているのである。
 同一人でなければならない。
 
 

 
 「沓」と呼ばれる修辞法がある。
 すぐに思い出されるものがある。

からごろも唐衣
きつつなれにし着つつ慣れにし
つましあれば妻しあれば
はるばるきぬるはるばる来ぬる
たびをしぞおもふ旅をしぞ思ふ

 五句の頭だけを並べると、かきつばた、になる。いえば、頭沓である。『伊勢物語』にある。句の終わりを終句からする沓もある。いえば、尾沓になる。
 兼好と頓阿の往復の手紙がある。
 兼好は、

よもすずし
ねざめのかりほ
たまくらも
まそでのあきに
へだてなきかぜ
 と詠んで出した。
 沓を採ると、よねたまへ(米たまえ)、ぜにもほし(銭もほし)というお願いになる。これに対し、頓阿は、よねはなし、ぜにすこし、と読める和歌を返している。
 私は「江雪」に沓をみつけた。

千山鳥飛絶
万径人蹤滅
 の頭尾を集めると、

千万絶滅
 になる。また、

孤舟蓑笠翁
独釣寒江雪
 では、孤独翁雪、孤独翁の雪、になる。
 千万はわが国では「ちよろず」という。生きとし生けるもの、の意としよう。絶は、生命の絶えること、滅は、生命の跡が消えること。孤は、親のないこと、独は子のないこと。
 世界に生命の影も見えず、私には親もなく子もなく、年をとり望みとしてはこれまで培ってきた才能を活かしたいというだけである。そのためにのみ、だれ一人寄り付かない、まわりは雪の中に舟を浮かべて釣りをし、太公をお待ちしております。ただ一つ、川という通路に身をさらして。
 これはもう、翁は作者自身でしかない。



小さな、小さな、争点/『眞木林太郎全集』3
眞木林太郎 (2007年、金盞花香し) 株式会社アドスリー
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